2014年12月28日日曜日

2014年年末、マレーシア航空業界受難に寄せて


 年の瀬に入り、もうひとつマレーシアに関する大きなニュースが飛び込んできました。

スラバヤ発シンガポール行きのエア・アジア機QZ8501便が連絡を絶つという事件が起こりました。この稿を記している時点で確定はしていませんが、墜落の可能性も濃厚となっています。エア・アジアにとっては、初めての機体の失踪となります。

今年3月には、マレーシア航空機MH370便が行方不明になったことに続き、7月にはMH17便が撃墜されるという事件が起こり、日本のメディアでもマレーシアの文字を頻繁に目にする機会がありました。

今回のエア・アジア機は、エア・アジア・インドネシアに属し、運行もインドネシアが主体でありますが、マレーシアの航空業界のイメージダウンは避けられない情勢にあります。

また、事件の真相解明が全く進んでいないMH370便に関しては、ハイジャックやテロの可能性も排除できず、マレーシアに対するテロに対する脅威への不安も払拭できないままの状態です。

ただ、マレーシアが直面しているもろもろの不信感は、実は日本も70年代に経験してきた道筋であります。奇しくもマレーシア人は、日本と日本の航空機のイメージを“危険”と印象付ける事件を2度も目にしているのです。

1度目は1975年¥日本赤軍が在マレーシアとスウェーデン大使館を占領し、人質と引き換えにメンバーの釈放に成功した「クアラルンプール事件」です。その2年後には、1977927日には、日航機715便がスバン空港で墜落し、34名死亡45名が重軽傷という事故を起こしています。また、この事故の翌日には、日航機472便が日本赤軍によりハイジャックされ、日本政府に対しダッカで乗客の命と引き換えに身代金とメンバーの釈放を要求し、この事件でもテロに屈しました。

今から40年ほど前、一世代前のマレーシア人にとって、日本赤軍は現在のイスラム過激は以上に物騒で、日本の旅客機にも乗るのを避けたい、という扱われ方でした。ちなみに日本航空は、その後も1982年機長の心神喪失による羽田沖で逆噴射して墜落した事故や1985年に520名もの人名が失われた御巣鷹山ジャンボ機墜落という事故を経て、空の安全を改善してきました。

マレーシアとマレーシア航空業界にとって2014年は、受難の年であったといえますが、被害者という受け身の意識でなく、信頼を回復するために積極的に情報公開や安全対策の確立に取り組んで、安全な国と安全な航空会社の地位を取り戻してもらいたいと思います。

 
 
今回は、エア・アジアのグループCEOであるトニー・フェルナンデス(Tony Fernandes
)氏は、早々にスラバヤへと飛び立ちました。同氏がどう対処するかにマレーシアと航空業界の未来がかかっています。

コスモス・プラン
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